\着物が大好きでお出掛けも大好きな私“あさがお“が時々つぶやきます/
=====================================
①『江戸時代の旅姿』の話
②『着物で山登り』の話
③『南天ーなんてんー』の話
④『女正月の初詣』のお誘いの話
=====================================
今年もあと僅かとなってまいりました。年の瀬のお忙しい中、今日もこのページを覗いてくださりありがとうございます。
あさがおです。
今月もきもので色んな所へ行ってきました。山にも登ってみましたよ。その為に和装グッズの制作もしてみました。今回はそんなお話を。。。
1.『江戸時代の旅姿』の話
先月に引き続き、今月も時代衣装(旅姿)のお話を致したいと思います。
今月は江戸時代頃の旅の装いについて。。。
江戸時代と言えば、初代徳川家康が日本のほぼ全てを平定し征夷大将軍になってから、十五代将軍徳川慶喜までの約300年続いた徳川家の時代。皆様ご存知の通り、日本はこの間、戦争をしていません。海外とは鎖国状態でしたし、国内は徳川が牛耳っており参勤交代などを強いられ、各地の大名は戦争するお金なんてありませんでした。つまり300年近くもの間、平和な時が日本には流れていたのです。
平和が続くと、そこで暮らす人たちには余裕が生まれます。余裕が生まれると進化・発展するのが、食や文化です。
先月話題にさせていただいた平安時代も、戦国時代に突入する前の平和なひとときでした。なので平安貴族の建築物、衣装、屏風や家具などの調度品における美術、和歌や物語などの文芸etcが発展し今に残っています。またこの時代に今の日本料理の基礎が出来上がっています。戦争がないと逃げる必要がないので、時間をかけた調理法も発展します。長時間の発行・熟成を必要とする漬物なども平安時代から発達してきました。
江戸時代はさらに朝長期間の平和な時代が続いたのですから、そりゃぁ文化も花開く事でしょう!
平安時代には貴族の間だけで発展していたものが、江戸時代には庶民にも広がります。料理、衣装、絵画、文芸、芸能など、将軍や大名たち、いわゆるお殿様だけでなく、街に暮らす庶民たちも楽しめるようになります。
そんな中で、旅行楽しむ人たちもどんどん増えてきました。一生に1度はお伊勢参り!と言われていた様で、多くの人々が日本各地から伊勢を目指した様です。江戸から伊勢ですよ!今なら新幹線や東名高速でピューンですけど、ソレでもなかなかに大変ですよね(汗)ソレを当時は歩きです。凄いです。
そんな時の姿が江戸時代の旅装束ですね。水戸黄門の助さん格さん達、お供の方々の姿です。と言っても、若い方々はご覧になった事がないかしら?
こ〜んな感じ?
上から順に特徴を解説してみましょう。
笠(かさ)は、この写真では三角の竹笠ですが三度笠の方が多かったのでは無いかと思います。と言うのも、三度笠の方が大きいですから。
今の様ないわゆる『傘』も、江戸時代の後期にはオランダや唐(今の中国)から入って来てはいました。しかし、まだまだ一般的では有りませんでした。ソレに長距離を歩くのに傘を片手に持ったままでは何かと不便です。なので頭に乗せて使う『笠』の方が使い勝手が良かったのでしょう。土砂降りなら宿に留まりやむのを待つでしょうし、少しの雨なら三度笠が雨避けになります。
襟や帯は汚れが目立たないように黒い掛け襟をつけます。
繻子と言う絹織物で作られています。滑らかで少し光沢のある記事です。つるんとしているので埃や汚れも落ちやすかったのでしょう。
手甲・脚絆(しゅこう・きゃはん)は傷防止、虫除け、日除け、、、マムシ除けでもあったとか?今よりマムシの数も多かったのでしょう。(怖っ)上の写真では脚絆が見えないですが、、、きものをチョット長くし過ぎてしまいました―残念
浅葱色が多いのは藍染のモノを使う事が多かったからだそうです。藍染には防虫、殺菌作用がある事を利用していた様ですよ。
赤いお腰
着物の裾から覗くのは長襦袢の裾の部分。お腰(おこし)と呼ばれます。
赤は身体を守り病気を避けると言われており、下着によく使われる色でした。
草鞋(わらじ) 藁は雨や雪の時にも滑りにくく、軽いので持ち運びにも負担にならないですね。何日も歩くうちにすり減ったり紐が千切れたりする為、旅支度の時には何足も準備して、荷物に結びつけたり腰にぶら下げて歩いたりしたようです。
杖があると、疲れにくいですね。最近でも、ウォーキングをする人々がスキーのストックのような杖を両手に持っているのをよく見かけるようになりましたよね。
コレで旅装束が出来ました。長期間歩く為の工夫が随所に見られますね!
きっと手荷物にも色んな工夫があったのでしょうね!余りたくさんは持って出掛けられませんから。いつか何も物についても調べてみましょうか?現在の旅行にもヒントになるかもしれませんね。
2.『着物で山登り』の話
先日、友人に登山に誘って頂きました。登る山は遠見山。岐阜県川辺町にある岐阜のグランドキャニオンという二つ名を持つ山です。
テレビなどでも紹介されており、一度行ってみたいと思っていた山でした。
喜んで参加を表明し、ふと考えました。江戸時代の旅人は、江戸から伊勢まで山越え川越え歩いて行ったのです。遠見山は1時間位で登下山が可能との事。私も着物姿で山登りしてみようかな?
さぁそれからが大変です。三度笠、繻子織の黒い掛け襟と帯、赤いお腰、手甲に脚絆、草鞋、杖などを準備しなければなりません。
家にある物で何となくそんな感じに出来ないか?と、無い頭を絞ってみました。
先ず三度笠。コレは以前、娘が馬籠のお土産屋さんで買った竹笠を借りて代用しよう。
黒い掛け襟は、繻子織は無いけど、何か黒い布を探して代用すれば良い。上から縫い付ければソレっぽく見えるはず。
帯は黒い帯なら良いでしょう!
手甲と脚絆はイチから作りましょう。
草鞋。コレも作る?作れるのかな?検索してみれば、動画がいっぱい。今は便利ですねぇ。スマホをポチッ!で、何でも分かる。ありがたい事です。布草履の作り方とほぼ同じみたいです。藁を手に入れれば何とかなりそう。
そんな訳で、登山メンバーに私だけ着物で参加しても良いか確認しました。変なのに付いてこられたら嫌だ!って方もいらっしゃるかもしれないですから(笑)
結果、皆さん快くご了承くださり(ホントか?)中には『万が一を考えて、着替え用のテント、持って行くよ!』なんて言ってくださる方も。ありがとうございます。でも、そんな重たい物を持って登るのは大変なので、無理はしないでください(合掌)
OKを貰えた事にして準備に取り掛かります。先ずは1番時間が掛かりそうな草鞋から。夫の実家で稲刈り後の藁を分けてもらって来ます。動画を見ながらひたすら捻って捻って藁のロープを作ります。その後ははそのロープに藁を編み編み。
きっと山道は凸凹で、足の裏が痛くなるといけないので草履は厚底にしようと、藁を多めに編んでいきます。出来上がりはこんな感じ。
布草履は一足(2つ)1時間位で出来ると書いてありましたが、朝から作り始めて出来上がったのは夕方でした。
黒い掛け襟は、繻子っぽく見える光沢のある黒い布を見つけました。適当に襟の大きさに布をカットし、長襦袢に半衿を付ける要領で着物の襟に被せます。出来上がると、黒い襟になった途端になんだか江戸っぽい雰囲気⁈見ていてニヤケてしまいそうです。
手甲と脚絆は、浅葱色はあきらめ、白で作ります。手甲はちょっとアレンジして、指も入れられる様にしました。脚絆は足に巻いて紐が結べれば大丈夫。毎日少しずつチクチク、チクチクと縫っていきます。
赤い長襦袢もお腰も持っていないので、コレも作ります。母の赤いワンピースの裏地を切り取り、お腰にします。
杖は竹の棒で良いでしょう。コレも夫の実家の竹林から調達します。持ち手の所に赤い布(母の赤いワンピースの表地、、、笑)を巻き、紐で結べばそれっぽい杖が出来上がりました。
きっと江戸時代の人も、旅行前にウキウキしながらこうやって草鞋を編んだり襟を付け替えたり、手甲や脚絆を作ったりしていたのでしょう。気持ちが通じた様に勝手に思っては、楽しんでいました。準備のウチから旅の楽しみが始まるのは今も昔も同じですね。
当日は雨かもしれない予報で心配でしたが、幸運なことに曇り。登山は決行です。
家から準備した旅装束を着ていきます。現地までは車なので、その格好で運転です。足元だけはスニーカーで運転しました。
現地について草鞋に履き替えます。
草鞋って凄いですね!滑りません。クッションも効いていて足裏も痛くありません。ただ問題が!分厚くする事だけを考えて作ったので、始めのロープも太く編んでしまったのですが、お陰で鼻緒が痛い(涙)少し考えればわかることだったのに。結局草鞋を履いたのは、始めの100メートルくらいだけ。後はスニーカーに履き替えて登りました。そして所々の撮影スポットだけわらじに履き替えると言う。。。
着物はそんなに気にならず登ることができました。杖があったのもありがたかったです。杖は見た目重視で作ったつもりだったのですが、実際には1番良い仕事をしたかもしれません。杖があるのとないので登りやすさがこんなに変わるとは思いませんでした。今後の登山にもこの杖は使おうと心に決めたくらいです。
山頂まで登れば、素晴らしい景色が出迎えてくれ、いつの間にか暑くなった身体を爽やかな風が冷ましてくれます。
1番高い岩の上で瞑想を始める者、記念撮影に余念の無い者、オヤツの焼き芋を頬張る者(え?焼き芋?)、皆んな思い思いに、そして一緒に山頂での時間を楽しみました。
下山の途中では見事な滝も見ることができ、マイナスイオンパワーも貰って素敵な登山でした。
駐車場への帰り道。すれ違った地元の方が「登って来たんか。雨が降らんで良かったなぁ」と声を掛けてくださいます。「はい。素敵な景色が拝見できました」と答えると「どこから来たんかな?」と聞かれます。私が住んでいる場所を答えようとすると、それより早く隣の友人が
「彼女は江戸時代から来ました!」
と。
その返しの素敵さに、私は驚くやら嬉しいやら。。。
彼女みたいな気の利いた会話ができる様になりたいものです。
3.『南天ーなんてんー』の話
12月の花木は、、、南天、蘭など。
今回は南天についてのお話を。
南天(なんてん)と言えば、『難(なん)を転(てん)じる』として、縁起物として庭木、鑑賞用室内木、料理の飾り、屏風や襖の絵、そして着物の模様や反物の地模様等、色々なところで使われています。
コレから作り始めるお節料理にも欠かせないですよね!煮物の上に南天の葉を乗せるだけで、お祝いの雰囲気が出せます。
また、その実は炎症を抑える生薬にもなり、南天を使った飴が喉に良いのは良く知られていますよね。
夏には白い可愛い花を咲かせ、冬には赤い可愛い実をつけます。我が家の庭にも有りますが、いつも小鳥がその実を食べに来ています。食べた後は少し移動しては種を落としていく様で、庭のあちこちにいつの間にか南天の木が増えていたりします。
そんな小鳥を見ていると、そのうちにあの小鳥たちは赤い鳥になるのかな?なんて、小さい頃に歌った歌を思い出したりしてしまいます。
あ〜かい鳥、小鳥、なぜなぜ赤い?
あ〜かい実をた〜べ〜た!
南天の花言葉は、
・白い花が咲き、赤い実をつけるのが愛情が高まる様子に見える事から
『私の愛は増すばかり』
・難が転じて福と成す、という語呂合わせから
『服を成す』や『良い家庭』
・南天の葉や実が生活のさまざまなな場面で取り入れられている事から『機知に富む』
などが有ります。
我が家に次々と南天が生えて来るのは、我が家に難が多過ぎるので一本では福に転じ切れないのだと思います。なので、何本も生えて来て我が家を守ってくれているのだと思うと、ありがたい木です。
さて、そろそろ大掃除を始めましょうか。少しでも綺麗にして新年を迎えましょう。玄関の花器にはお正月用の花と共に南天の木を生け、お節料理にも南天の葉を飾りましょう。
来年が、良い年となることを願いながら。
4.『女正月の初詣』のお誘いの話
「女正月」という言葉をご存じでしょうか?「おんなしょうがつ」と読み、俳句では「めしょうがつ」と詠まれることが多いそうです。元旦を中心とする正月三が日を大正月、十五日辺りを小正月と言ったりしますが、大正月は男性中心の行事が多いので男正月、その間忙しい女性がやっとゆっくり出来る様になる小正月を女正月と呼ぶそうです。
そんな「女正月」に女性だけできものを着てお参りに行き、その後『おりべ亭』さんへ美味しいお料理を食べに行きませんか?
ご参加をお待ちしています。
*日時:1月15日(水)10時~14時
*集合場所:子守神社 可児市中恵土2259-1
西側の鳥居は幅が狭いので、南側の鳥居から入るといいそうです
*お料理金額:2,800円
*ドレスコード
着物(きものを一人では着れない方は美のりがお手伝いいたします。文末をご確認ください)
*締め切り 1月8日
お申し込みはきもの処美のりまでお電話ください。℡0574-62-9248
ぜひ是非ご参加くださいませ。お会いできますのを楽しみに致しております。
(ご参加いただくにあたっての注意点等を文末に明記させていただきました。ご一読の上お申し込みください)
最後までお読みくださり ありがとうございました
今後も折に触れて発信していきたいと思っております。時々覗きに来てくだされば嬉しいです
ではまた! あさがおでした
☆きもの処美のりのイベントにご参加くださる方へ
*最低遂行人数 4名様(人数に満たない場合は中止とさせて頂きます。既にお申し込みの方にはをお電話にてその旨をお伝えいたします)
*最高遂行人数 10名様
*美のりからのサービス
・きものの着付け 無料
・ヘアセット(通常5,500円のところ) 3,300円
・メイク(通常5,500円のところ) 3,300円
・きものレンタル(小紋) 6,600円
・浴衣レンタル 3,300円
*遅刻・キャンセルをなさる場合は、きもの処美のり(0574-62-9248)までご連絡ください(10時~19時)
*当日のイベント中に、他のお客様への個人情報の聞き取り、勧誘はおやめください
岐阜県可児市・多治見市・土岐市・瑞浪市・恵那市・中津川市・美濃加茂市・関市・各務原市・岐阜市・美濃市・八百津町・川辺町・御嵩町・富加町・七宗町・白川町・坂祝町・愛知県犬山市・扶桑町をはじめとした、岐阜県・愛知県の皆様に、素敵なお着物ライフをご提案させていただいております。